裸の自分
- ゆか
- Feb 28, 2024
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Updated: Mar 1, 2024
2022年夏、ひとりで石垣島に行ってきた。
その直前に行ったオーストラリアでシュノーケリングにハマり、どうしても夏のうちにもう一度やりたくて、日本に帰ってすぐ往復チケットとゲストハウス、シュノーケリングツアーを予約した。
荷物はリュックの中に着替えの短パン・Tシャツ、小さなタオルとニベアくらい、ビーサンを引きずりながら飛行機へ乗った。
当時は、ずっとしていたジェルネイルもキャットアイが特徴のメイクもやめていて、かろうじて残されていたのは、パーマでつくられた人工的な「ナチュラルウェーブヘア」だけ。あれほど大切にしていた自分の「こだわり」から遠ざかっていた。
「大学生」という肩書一枚だったゆかは、自分にまとわりつく「何かしらの概念を持つレイヤー」をできる限りそぎ落としたかったのだ。
小学生の頃は「お勉強のゆかちゃん」
中学生の頃は「ダンスのゆかちゃん」
高校生の頃は「チアのゆかちゃん」
大学生の頃は、部活を引退するまで「アメフトのゆかちゃん」
部活を引退してからはじめて「ただの学生」になった。
その解放感がゆかと自然を繋ぎ合わせたのだろうか、海の中の世界を自分の居場所のように感じた。
「ゆかちゃん」を象徴するものを手放して、裸一貫、島へ向かった。
台風が来るか来ないかの瀬戸際の時期だったが、当日は快晴。同じ船にはゆか以外に、女の子二人組、ダイビングで参加している数人と会社で来ている10人くらいのグループが一緒に乗り込み3つのスポットを回る。
最初のスポットに到着すると、さっそくみんな海に飛び込んでいく。「どうぞ、自由に泳いでください!」というスタイルのそのツアーではガイドさんによる案内はほとんどなく、写真を撮ってくれたり、個別に声をかけて軽く潜り方を教えてくれるくらいだった。
シュノーケリングはオーストラリアで何度かしただけでまだまだ初心者だったが、おさかなと泳いだり、見よう見真似で潜ったり、フィンとシュノーケルをうまく使いこなし、水中の心地よさを楽しめるまで上達していた。
そして、海の中はまさに『海中都市』。
人の手が行き届いていない海こそ、繁栄した都市のように活気に満ち溢れていた。
この世界にもっと近づきたい、受け入れられたい、住人にはなれなくても「おなじみのゲスト」くらいにはならせてもらえませんかね、と海の住人たちに向かって話しかけていた。
次のスポットに到着するとダイビングの準備をするよう促された。シュノーケリングだけのつもりだったので「?」となったが、話を聞くとゆかは間違えてシュノーケリング+2ダイブのツアーを予約してしまっていたそうだ。
ゆかにとってシュノーケリングの魅力は、「裸に近い状態で呼吸を止めて異世界にお邪魔する」というところにあった。地上生物と海中生物の垣根を地上側のより発展した文明に頼らず肉体ひとつで超えていくからこそ海の世界と繋がり合えるのに、でっかいボンベをがっつり背負って海中に踏み込んでいくダイビングは「ずる」な気がしていた。しかし、その分の料金を払ってしまっているのでしょうがない。初心者のゆかに専属でつくガイドさんに連れられて、初めて深い海の底までお邪魔させてもらうことになった。
ガイドさんはとても優しく、ゆっくり海の中を案内してくれた。途中で気づいたが、全く自分の脚で泳いでいない。ガイドさんに導かれるまま、同じ目線を泳ぎ回るおさかなたちと次々と表情を変える青の中に立ち尽くしていた。
世界全体が「ピュア」だった。
その「ピュア」の中にいるゆかは彼らの目にどのように映っていたのだろうか。
船に戻り昼食の時間になった。提供されたお弁当はカレーで、朝からほとんど食べていなかったゆかは全部平らげてしまった。その後もまたダイビングだ。海中で苦しくならないか心配だったが、食欲には逆らえなかった。
ランチタイムが終わり、最後のスポットに向かう。2回目のダイビングと、もう1回シュノーケリングをする時間もあるらしい。今度はさっきの優しいガイドさんに代わり、若いにいちゃん系ガイドさんが付いてくれることになった。「さっきのように付きっきりで案内してくれるんだろうな」と、甘えた気持ちでいた。
今度はゆかとガイドさんの他にダイビング資格を所有する参加者の2人が一緒に潜るそうだ。慣れてそうなダイバーの2人に迷惑をかけないようにしなければと、少し緊張が走る。
船から海の中に入るはしごに足をかけた。
一段、また一段と下っていくごとに感じる胃への圧迫感。
「ちょっと苦しいかも?」「いやいや、みんなも同じ量を食べてるし、1回目も少し苦しかったからこれが普通なのだろう」と、自分を説得させて、ラストダイブに挑む決意を改めた。
4人で海の中を回る。他の3人は上手にコミュニケーションを取りながらズンズン進んでいく。パシャパシャ写真まで撮っている。
ゆかは付いていくのに必死だった。「若いにいちゃん系ガイドさん」は「手厚いサポートをしてくれない系ガイドさん」だった。一生懸命脚を動かして前に進む。腰におもりを付けているのにドンドン浮いしまう体にぐっと力を入れて沈めながら、遅れをとってしまわないように頑張って泳ぐ。
胃は先ほどよりも圧迫されていた。1度でボンベから吸える酸素の量は少なく、さらに水圧と力む体の圧で苦しい。辺りはたぶん絶景。でも全然見れない、楽しめない、苦しい。
「途中で出たくなった時のジェスチャー」は教わっていたから、何度もガイドさんに伝えようとした。でも他の参加者に迷惑がかかるし、せっかくの機会だしと我慢。
が、限界。
遂にゆかはガイドさんに向けてジェスチャーをして、海面に引きあげられた。
海面に着くと、シュノーケリングをしている参加者たちの間を器用にすり抜けて、1回目の時の優しいガイドさんが駆け寄って来た。ガイドさんはどうしたのかと聞き、苦しかったと答えた。「まだ行けそうか、行けそうだったらもう1度海の中に連れていく。」という問いに、ゆかは優柔不断な態度を示した。
「行けるものなら行きたい、苦しかったけどもしかしたらまだ頑張れたんじゃないか」と悩んでいたその時だった。
急に食道を逆流してきたカレーがゆかの口を塞いだ。
ガイドさんはすぐさまダイビングマスクを外す。
クルっとゆかの体を半回転させ、そのまま首根っこを掴んで船まで連れ戻していく。
出てくるカレー
集まる魚
離れる人々
空は澄んでいた。
カレーの代わりに取り込んだ空気によって浄化されていくゆかの体内を映しているかのようだった。
人間じゃない気分だった。
ただの生き物?
ちがう。
『溺れかけた猫』
そんな気分だった。
船に戻って休憩して、体調も落ち着いた。もう1度シュノーケリングをするかと聞かれたが、もう疲れ果てていて気分が乗らなかったから、それでツアーは終了となった。
そんな変な(?)思い出となった初ダイビングだが、また挑戦したいと思う。でもやっぱり、シュノーケリング6回:ダイビング1回くらいのバランスがいいかな。
「裸に近い状態で呼吸を止めて異世界にお邪魔する」というシュノーケリングの魅力。
異世界にお邪魔する時は、できるだけその世界になじむ姿で踏み込みたい。そして、それにともなう苦しみも受け入れたい。
自然が裸ならゆかも裸。
ゆかにとって自然との関わり合いはそれが理想的なのだ。
でも、たまには文明の力を使ってでもより深く自然を知りたい。
深く知り合うことがよりよい関係をつくるのだから。
その時のためにダイビングも練習しよう。
そして次は直前に満腹になるのはやめよう。
地上の生活に戻ったゆかは、ジェルネイルも、キャットアイのメイクも、ピアスも服も、今まで通りこだわりを貫き通すことにした。
あの時のゆかは裸の自分で生きてみたかった。
裸の自分で生きられるのか試してみたかった。
でも、この地上では服を着ないと苦しい。
恥ずかしいし、傷つきやすいし、不安。
服を着ると途端に不安は消える。
今度は不満が現れる。
あれでもない、これでもない、ゆかが着たい服はどこだ。
色んなお店に足を運んだが、結局自分のクローゼットの中にある服が一番しっくりきた。
無理にそぎ落とそうとしていたレイヤーは、唯一無二の勝負服に姿を変えていたのだ。
一生ものの勝負服。つぎはぎだらけになっても大切にしたい。
たまにその服を脱ぎたくなったら、自然と戯れにまた海にお邪魔しに行こう。
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